「脳内麻薬01」という個人サークルで活動しています
思うこと こわれ者の祭典に行って編編集する 2009年12月21日00:29 今日は「こわれ者の祭典」というイベントに参加した。
http://koware.moo.jp/
様々な生き辛さをかかえた人たちの発表の場といえばいいだろうか。
詩とか歌とかトークとか。
なんといったらいいのかよくわからないが、まあそういう場だと思う。
私は、リアル生活でお会いした人からはよく言われるけれど、
とても心のほうに病持ちには見えないそうだ。
今は大分よくなったけれど障害者手帳なんか軽くもらえる
ぐらい通院している。〔もう九年ぐらいになるのかな〕
病名はいちおう「パニック障害」というもので、他にもいろいろあるようだが先生はごにょごにょいっているのでなんなのかよくわからない。
まあとにかく生きにくい。
パニック発作をご存知だろうか。特定の場所や物事に遭遇すると頭の中がパニックになって過呼吸になったりする病だ。下手をすると失神する。過呼吸の場合はビニール袋に息をいれて出してという方法でなんとかなるけれど、私みたいに呼吸全体がよくわからない状態になる人はもうどうしようもないので、どこぞに放置しておさまるのを待つより他はない。手が痺れたり呂律が回らなくなったりとかなり苦しい。
またそんな目にあうんじゃないか、死ぬんじゃないかという恐怖心にさいなまれる事もある。まあこの病では死にはしないんだけど。
あとは多分欝っけが強い。自虐的である。過食癖がある。たまに幻覚と幻聴がある。
普段欝の時にかいた文には欝注意、とかも嫌いな人はスルー等とかいておくけれど、今回は別に欝ではなく逆に晴れ晴れとした気持ちだからこそ整理してかける気がするからかこうと思う。
それで嫌われたら、それはそれで仕方が無い。
元より、私の本質というものは皆に愛されたり、普通のものであったりすることなど到底無い事ぐらいわかっているんだから。笑
嫌われることが怖い。
好かれなくてもいいから嫌われたくない。
私、思うんだ。読んで怒ったらごめん。でも真面目にかくからね。いつもみたいにふざけないよ。
私、自分は社会にとってゴミだと思うのね。
屑だと思うのね。
普通の人ができてる仕事とかしてないし。授業とか発作で出れないし、
過食するは怠惰だわ、死にたくなるわで。
漫画家にもなりたかったのね。
でも、漫画がかけなくなっちゃったの
ていうか、唯一の特技といえるかもしれない漫画すらかけない屑になるわけなのです。
かけなくなったら私いらない子だよね。
歌を歌えなくなったカナリアは裏山に捨てられるんだよね。
漫画家ってはやいうちにならないと駄目だから、なんかもうお先真っ暗。
しかも絵下手。唯一の救いであるお話つくり、頓挫。
これは自分の話、他の人の話じゃないよ。
だから安心してね。
働かなくっちゃ、お金稼がなくちゃ、普通にならなくっちゃ、それでもって元気にならなくちゃ。
明るくなくっちゃ。正常にならなくちゃ。
そういってその沈んだ自分を否定し続けたわけで。
多分なくっちゃ、の後には嫌われる、と捨てられる、が付け加えられる。
もっとまともな真人間になりたい。
人間になりたいといつも思っていた。
社会はきっと私たちいらない人間の事を捨てようとしている。
でも世間の目があるから保護するような顔して切り捨てる。
いらない人間だから捨てる。
社会は慈善団体じゃないしね。
あぶれた者は死んでいく。
それはある意味弱肉強食のルール
だからまあ仕方が無いのかもしれない。
でも私はそれが悔しくて、たまらない。
悔しいよな?、病んでる皆。
私たちは何がいけなかったのだろうか。
醜い容姿に生まれたからいけなかったのか?人に染まれないからいけなかったのか?
いじめられたのは私のせい?
つーかいじめられたらいじめられた人間が全部悪いわけ?
そんなことあるわけないじゃないか。
あるわけない。断言する。
素因はあるにせよ、リンチしたりしていいなんてことはない。
言葉の暴力をしていいはずがない。
自分のされて嫌な事は人にしてはいけない。
それ当たり前の事だよね?
被害者である私は精神がアレになって病院に通院。
お金はかかるし、普通に生活できなくて困るしつらいし苦しいしたまらない。
トラウマと発作で授業をまともにうけられない、勉強できないから大学にも行けなかった。
フラッシュバックに今も悩まされている。
夢の中はいつも小学生時代。
憎かった。もう拷問してやりたいぐらい憎かった。
今は正直、どうでもよくなったけど。
それでもたまに幸せそうな、そいつらを見ると私の怒りはふつふつと湧き上がる。
こんな汚い私に母は「恨んだところでどうにもならない」と言った。
そう。過去は帰らない、先は未来しかないんだ。
自分の中の澱んだ所を隠そうとすればするほどに、リアルとの差が生じて、
ああきっと本当の私は嫌われるような存在なんだろうっていつも思っていた。
私はそんな人間だ。
面倒くさいやつ。すぐ死にたくなるやつ。
でも私は死なないと心に決めている。
理由はこうだ。
私が死んだことによって嫌ーな気持ちにさせるのが嫌だから。
かかわった人に数ミリでもそういう思いはしてもらいたくない。
好きな人には特に。そんな酷いことしたくない。
そうかいたら、お前の命どんだけ大切なんだよとつっこまれそうだが、
私の心はダイヤモンドなんですVなんていうわけでもなく・・・。
人は生まれた地点ですでに他者とかかわっている。
他者の中に存在する自己が存在する。
もうその地点で迷惑かける人が必ずいるわけだ。
どうだ。これ、死ねないよね。
友達いないとしよう。でも接触したことのある人間は絶対いるよね。〔動物でもよい〕
生まれた地点で母親と父親は確実に存在するよね。
大体産婦人科にいるよね。とりあげる人がいるよね。
ほら、その地点で、死んだらなにかしら、残してしまうよ。
残すこと、それは不幸な事だ。
残すなら楽しい思い出を残そう。
私たちの頭の中にある物質は、ちょっと普通と出方が違うから、
難しいかもしれないけれど、でも、
それでもいいと思うんだ。
私たちの病は、なまけてるとかふざけてるとか、不謹慎だとかいわれるけれど、
伝染しないだけの死に至る病なんだ。
死に至る病になってる人に向かって動けとか怠惰とか言うか?
ましてや説教するだろうか?
例えばインフルエンザで寝込んでる人とかで考えてもらうとわかりやすいかも。
心が悲鳴をあげるか体が悲鳴をあげるか、違うのはそこだけじゃないか。
だから心がもう駄目だ、といっている時は自分を休ませてあげてください。
休んでいいんだよ。だってしんどいんだもん。
自分を肯定してあげよう。たまには。少しでいいから。
君はいらない人間なんかじゃない。
生きいちゃいけない、そんなことはないんだよ。
心配なら、
大声で言ってやるよ。
ネガティブな自分も、許してあげようよ。
それも自分だ。しょうがない。
人といっしょになれないかもしれない。それでもいいじゃない。
あの世へのハードルはそれほど高くない〔by犬神サーカス団〕
死のうと思えば結構できると思う。
現に毎日電車では人身事故がおこってる。
私は、そんな日本が嘆かわしい。悲しい。怒りを覚える。
私たちは要らない人間かもしれないが生きているんだ。
いいと思う。生きているだけで。
それだけでいいと思う。
そしてできる事をしていこう、未来を築いていくんだ。
そんな気持ちにさせてくれた月乃光司さんという詩人がいます。
今回の祭典の主催者です。
http://sky.geocities.jp/tukino42/illust/poemu.html
こちらが詩で
http://blog.livedoor.jp/byoukidayo/?blog_id=2151182
こちらが詩の朗読の映像となります。
携帯でみれないけど読みたいって人には人こぴぺして送るよー
勇気をくれる詩をかく人です。
私はこの人の詩がとても好きです。何度も励まされます。
よかったら見てください。きっといいと思うよ。
長い文章となりましたが、読んでくださり感謝しております。
願わくば私のつきあいも、良い出会いであるように、
楽しい思い出を作っていけたらなぁと思います。
みんなありがとう。
生きていけるのはみんなのおかげです。
http://koware.moo.jp/
様々な生き辛さをかかえた人たちの発表の場といえばいいだろうか。
詩とか歌とかトークとか。
なんといったらいいのかよくわからないが、まあそういう場だと思う。
私は、リアル生活でお会いした人からはよく言われるけれど、
とても心のほうに病持ちには見えないそうだ。
今は大分よくなったけれど障害者手帳なんか軽くもらえる
ぐらい通院している。〔もう九年ぐらいになるのかな〕
病名はいちおう「パニック障害」というもので、他にもいろいろあるようだが先生はごにょごにょいっているのでなんなのかよくわからない。
まあとにかく生きにくい。
パニック発作をご存知だろうか。特定の場所や物事に遭遇すると頭の中がパニックになって過呼吸になったりする病だ。下手をすると失神する。過呼吸の場合はビニール袋に息をいれて出してという方法でなんとかなるけれど、私みたいに呼吸全体がよくわからない状態になる人はもうどうしようもないので、どこぞに放置しておさまるのを待つより他はない。手が痺れたり呂律が回らなくなったりとかなり苦しい。
またそんな目にあうんじゃないか、死ぬんじゃないかという恐怖心にさいなまれる事もある。まあこの病では死にはしないんだけど。
あとは多分欝っけが強い。自虐的である。過食癖がある。たまに幻覚と幻聴がある。
普段欝の時にかいた文には欝注意、とかも嫌いな人はスルー等とかいておくけれど、今回は別に欝ではなく逆に晴れ晴れとした気持ちだからこそ整理してかける気がするからかこうと思う。
それで嫌われたら、それはそれで仕方が無い。
元より、私の本質というものは皆に愛されたり、普通のものであったりすることなど到底無い事ぐらいわかっているんだから。笑
嫌われることが怖い。
好かれなくてもいいから嫌われたくない。
私、思うんだ。読んで怒ったらごめん。でも真面目にかくからね。いつもみたいにふざけないよ。
私、自分は社会にとってゴミだと思うのね。
屑だと思うのね。
普通の人ができてる仕事とかしてないし。授業とか発作で出れないし、
過食するは怠惰だわ、死にたくなるわで。
漫画家にもなりたかったのね。
でも、漫画がかけなくなっちゃったの
ていうか、唯一の特技といえるかもしれない漫画すらかけない屑になるわけなのです。
かけなくなったら私いらない子だよね。
歌を歌えなくなったカナリアは裏山に捨てられるんだよね。
漫画家ってはやいうちにならないと駄目だから、なんかもうお先真っ暗。
しかも絵下手。唯一の救いであるお話つくり、頓挫。
これは自分の話、他の人の話じゃないよ。
だから安心してね。
働かなくっちゃ、お金稼がなくちゃ、普通にならなくっちゃ、それでもって元気にならなくちゃ。
明るくなくっちゃ。正常にならなくちゃ。
そういってその沈んだ自分を否定し続けたわけで。
多分なくっちゃ、の後には嫌われる、と捨てられる、が付け加えられる。
もっとまともな真人間になりたい。
人間になりたいといつも思っていた。
社会はきっと私たちいらない人間の事を捨てようとしている。
でも世間の目があるから保護するような顔して切り捨てる。
いらない人間だから捨てる。
社会は慈善団体じゃないしね。
あぶれた者は死んでいく。
それはある意味弱肉強食のルール
だからまあ仕方が無いのかもしれない。
でも私はそれが悔しくて、たまらない。
悔しいよな?、病んでる皆。
私たちは何がいけなかったのだろうか。
醜い容姿に生まれたからいけなかったのか?人に染まれないからいけなかったのか?
いじめられたのは私のせい?
つーかいじめられたらいじめられた人間が全部悪いわけ?
そんなことあるわけないじゃないか。
あるわけない。断言する。
素因はあるにせよ、リンチしたりしていいなんてことはない。
言葉の暴力をしていいはずがない。
自分のされて嫌な事は人にしてはいけない。
それ当たり前の事だよね?
被害者である私は精神がアレになって病院に通院。
お金はかかるし、普通に生活できなくて困るしつらいし苦しいしたまらない。
トラウマと発作で授業をまともにうけられない、勉強できないから大学にも行けなかった。
フラッシュバックに今も悩まされている。
夢の中はいつも小学生時代。
憎かった。もう拷問してやりたいぐらい憎かった。
今は正直、どうでもよくなったけど。
それでもたまに幸せそうな、そいつらを見ると私の怒りはふつふつと湧き上がる。
こんな汚い私に母は「恨んだところでどうにもならない」と言った。
そう。過去は帰らない、先は未来しかないんだ。
自分の中の澱んだ所を隠そうとすればするほどに、リアルとの差が生じて、
ああきっと本当の私は嫌われるような存在なんだろうっていつも思っていた。
私はそんな人間だ。
面倒くさいやつ。すぐ死にたくなるやつ。
でも私は死なないと心に決めている。
理由はこうだ。
私が死んだことによって嫌ーな気持ちにさせるのが嫌だから。
かかわった人に数ミリでもそういう思いはしてもらいたくない。
好きな人には特に。そんな酷いことしたくない。
そうかいたら、お前の命どんだけ大切なんだよとつっこまれそうだが、
私の心はダイヤモンドなんですVなんていうわけでもなく・・・。
人は生まれた地点ですでに他者とかかわっている。
他者の中に存在する自己が存在する。
もうその地点で迷惑かける人が必ずいるわけだ。
どうだ。これ、死ねないよね。
友達いないとしよう。でも接触したことのある人間は絶対いるよね。〔動物でもよい〕
生まれた地点で母親と父親は確実に存在するよね。
大体産婦人科にいるよね。とりあげる人がいるよね。
ほら、その地点で、死んだらなにかしら、残してしまうよ。
残すこと、それは不幸な事だ。
残すなら楽しい思い出を残そう。
私たちの頭の中にある物質は、ちょっと普通と出方が違うから、
難しいかもしれないけれど、でも、
それでもいいと思うんだ。
私たちの病は、なまけてるとかふざけてるとか、不謹慎だとかいわれるけれど、
伝染しないだけの死に至る病なんだ。
死に至る病になってる人に向かって動けとか怠惰とか言うか?
ましてや説教するだろうか?
例えばインフルエンザで寝込んでる人とかで考えてもらうとわかりやすいかも。
心が悲鳴をあげるか体が悲鳴をあげるか、違うのはそこだけじゃないか。
だから心がもう駄目だ、といっている時は自分を休ませてあげてください。
休んでいいんだよ。だってしんどいんだもん。
自分を肯定してあげよう。たまには。少しでいいから。
君はいらない人間なんかじゃない。
生きいちゃいけない、そんなことはないんだよ。
心配なら、
大声で言ってやるよ。
ネガティブな自分も、許してあげようよ。
それも自分だ。しょうがない。
人といっしょになれないかもしれない。それでもいいじゃない。
あの世へのハードルはそれほど高くない〔by犬神サーカス団〕
死のうと思えば結構できると思う。
現に毎日電車では人身事故がおこってる。
私は、そんな日本が嘆かわしい。悲しい。怒りを覚える。
私たちは要らない人間かもしれないが生きているんだ。
いいと思う。生きているだけで。
それだけでいいと思う。
そしてできる事をしていこう、未来を築いていくんだ。
そんな気持ちにさせてくれた月乃光司さんという詩人がいます。
今回の祭典の主催者です。
http://sky.geocities.jp/tukino42/illust/poemu.html
こちらが詩で
http://blog.livedoor.jp/byoukidayo/?blog_id=2151182
こちらが詩の朗読の映像となります。
携帯でみれないけど読みたいって人には人こぴぺして送るよー
勇気をくれる詩をかく人です。
私はこの人の詩がとても好きです。何度も励まされます。
よかったら見てください。きっといいと思うよ。
長い文章となりましたが、読んでくださり感謝しております。
願わくば私のつきあいも、良い出会いであるように、
楽しい思い出を作っていけたらなぁと思います。
みんなありがとう。
生きていけるのはみんなのおかげです。
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