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「脳内麻薬01」という個人サークルで活動しています
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難しいのは序盤。やりやすいのは後半。
〔最初は出来ることが少ないが、後になれば好きなようにカスタマイズできるので〕

はい。お葬式でした。
色んな方がやってきました。
おばあちゃんの死に顔は穏やかで美しかったです。
明日燃やしてしまうのが嫌だ。
火葬なんかなくなってしまえばいいのに。

今でもいないのが嘘みたいで、家に電話をかければ、まだ普通に出ると思うし、チャイムを鳴らしたら、出てくるんじゃないかとも思うし、

最後に祖母は私にいいこいいこしてもらう事を望んでいたから、
できるかぎり亡くなるまでいいこいいこしてあげた。

頭をなでると涙を流した祖母が、泣かなくなった時が
死んでしまった時だった。

私のそばにはいつだって祖母がいた。祖母がいるから遠くにもいけなかった。祖母は私を可愛がった。いくつになっても幼子のように接した。
私は物みたいなもので、祖母の所持物だった。
いつでも側にいるように言われていた。

家に帰るといつも祖母が寝ないで待っていた。

少しでも外出をすると嫌味を言われるのでなかなか外出できなくなった。祖母のおかげでなんど鬱になり、何度パニック発作に襲われたのか。そんなもの数え切れない。
それでも私にとっては大切な家族だった。
わがまま言うけど大切な人だった。
けちでわがままで自己中のひきこもりでも好きだった。

祖母はお裁縫が得意だった。そしてピンクが好きだった。
ろり服ののったファッション雑誌を見せると面白いといってよく読んでいた。

爪が丈夫で、でも自分では目が見えず切れないので、
いつも爪は私が切っていた。足の爪も手の爪も。
きらきらしたマニキュアが好きだった。かなりあかるいピンクのマニキュアと、紫シルバーのマニキュアが大好きで交互につけていた。
私はマニキュアをぬるのが好きだし得意だから、いつも私がやってあげた。それを自慢できるのが嬉しかったようだ。

前後感覚が無く、目もろくに見えず、片目は失明していたし、足もよわって病もいっぱいわずらっていたから、一人で歩くことは困難だった。
だから私と母は交互につきそい、手をとり共に歩くのだ。

幼い頃、祖母はとても優しかった。

よく家の裏まで行き、ねこじゃらしをとってきて毛虫だといって遊んだ。まつの葉をちぎっておすもうをして遊んだ。

美しい和紙が好きで、いっぱいもっていた。部屋にある箪笥等はほとんど祖母がつくったものだ。また、人形をつくるのが好きだった。
でも紙人形をいつだったか、みんなほどいてしまった。

お菓子がすきだった。祖母は病気があるのであまり甘いものを食べさせてあげられない。心苦しいが、体のためにはあまりお菓子をあげられないのが現実だった・・・。
そういうと祖母はすねて「お菓子を食べられないのなら、死んだ方がましだ」と言った。
「棺桶の中にお菓子をいっぱい入れてちょうだい」そう言っていた。
いちご大福とくるみを入れてあげた。好きだったマリーも入れてあげよう。

今考えてみると、もっとお菓子をたべさせてあげればよかった。

そんな後悔ばかりがのこる。
おばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん・・・。
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